尾根に沿った散歩道を中心に、大正から昭和初期にかけて綱島の特産品であった桃にちなんだ「桃の里広場」。多くの小鳥が集う「ひのきの森広場」など3つの広場があります。東屋や展望台、ベンチなどがあり、晴れた日には展望台から富士山が一望できます。 |
水月山陽林寺(曹洞宗) |
所在地 港北区綱島台1-18 |
現住職東臣 戦国乱世の頃、一人の武将が落武者として綱島の別所谷戸に落ち延びた。別所谷戸は綱島では唯一、南西が開け、後に山を背負った地形で、鶴見川の度重なる氾濫からも免れた最適の地であった。武士は、合戦の折には常に兜の中に1寸8分の守本尊の観世音菩薩を入れ持ち歩いた。その名は、田代冠者藤原秀忠、本名は、田代兵庫頭弥三郎藤原秀忠である。大永7年9月(1527)に示寂した。谷戸の番奥まったところに庵を設け、守本尊を安位した。そこは樹木うっそうとして自然の池があり、小さな滝もあった。代々の子孫城田一族が今日まで約460年間追善供養を怠りなく堂守りをしてきた。 |
大北谷神社跡 |
市民の森の中程、少し平らな敷地が大北谷神社跡です。ここに天神七代の第六代である百足尊、惶根尊が祀られていました。いずれも開墾や新田開発などを司る神様で、周辺集落の人たちは、この神様を守り神として開墾や耕作に勤しんでいました。拝殿は約40㎡で天井には地元の画家、猿渡北泉作といわれる勇壮な龍の絵が画かれ、入口には左右一対の狛犬を配するなど威容を誇っていました。 |
来迎寺 |
所在地 港北区綱島台14-23 |
由緒は、寛永元年(1624年)といいます。「新編武蔵風土記稿」によると「浄土宗小机村泉谷寺末称念山智光院と号し、開山は称誉」と伝わっています。堂内には阿弥陀如来像、閻魔大王像などがまつられ、境内に多くの石塔が見られ、太子像の庚申塔などがあります。 |
三角頂聖徳太子立像 太子像の庚申塔 |
所在地 港北区綱島台14-23(来迎寺境内) 元禄五壬申年正月 浮彫碑(庚申塔)高116cm幅47cm厚38cm |
60日ごとに巡ってくる庚申の日には、夜は眠らず言行をつつしみ健康長寿を祈念する信仰遊戯があった。これを守庚申とか庚申待といい、これに仏教的な信仰が加わり室町時代に全国に広まった。各地に講が結ばれ、月待講によって供養塔が造立され、庚申塔の造立が始まった。 |
けつわり坂 |
昔、観音堂(現在の陽林寺)の裏坂は非常に急峻で、湧き水がにじみ出て滑りやすかったため、村人たちがしばしば大怪我をしたという故事にちなんで名づけられた。 |
別所谷戸 |